おひさしぶりです。なすしです。

 おひさしぶりです。快活クラブから失礼します。

今年もあと少しということで、2024年。私が何をしていたのか、秘密保全を意識しながら共有しようと思う。

まず3月。涙の別れと牢獄生活。場所はBP。最初のうちは慣れなくて何度も鬱になった。それもつかの間、同期と親睦を深め、たくさんの山場を乗り越えてきた。一般社会では味わえないような屈辱、快感、人間性の喪失。たくさんの経験が最初の3か月間に詰まっていた。

そして7月。涙の別れと環境の劣化による不安。場所はYFI。BPよりも環境が悪く、続々と増える同期は柄の悪い奴らばかり。これからの3か月間を憂慮しBPの同期と毎晩のように涙のビデオ通話。仕事内容はBPでの基礎的な体力馬鹿な内容から一転、専門的な内容が始まる。昨今の戦争において高射のもつ重要性は大きく、さらにそこに機動性を持たせた某システムは古く、廃止の話が上がっているがウクライナ戦争でも目にした。それらの教育を受け、心だけは日本を守る武士の精神に。

10月。BPとYFIどちらの教育も優秀者として表彰され、やる気も自信も過去最高のものとなっていた。そんな中進んだYFIに残る道。同期は九州各地に飛び立ち、各々の道を歩んでいる。自分はYFIに留まり何をしているのか。

答えは何もしていない。先輩に媚びへつらい笑顔でいながら下の人間としてやることを覚え、指示に従うだけ。その割に面倒な仕事だけは増え、土日の休日がつぶれることもざら。12月に至っては21連勤。その癖、特殊な仕事柄、労基は適用されないブラック。官僚は下の環境や状況に目もくれず謎の政策ばかり。上が腐っている。下は働かずとも、何も成さずとも必ず金が入ってくる。困ったら家賃、食費を浮かせることだって可能。そんなぬるま湯にずーーっと浸かったまま迎える早期定年。そこから再就職。なんの刺激もなく、提供された幸福。自由を奪われていることに目を背け続け、いつかそれすら気づけなくなる。

そして戦争がいつかは起きる。

この仕事に未来を感じることができなくなってきた。当初こそ外では味わえない刺激に目を輝かせることができ、多少の困難や不自由には目をつぶることができた。しかし、今では目をつぶることに慣れすぎてきた。上は口を揃えて言う。やめるなら早くにしとき。

しかし、悪い点ばかりでもない。今月21連勤になった理由というのもマイナス点ばかりではなく、12月の頭は熊本で実施された米豪日のとある集まりに参加することができた。(詳しくは調べると出ると思うのでそちらを参照してくれ)そこでは米、豪兵と話す機会がたくさんあり、改めて英語を勉強する意欲がわいた。物々交換をしていろんな物も手に入った。(いつか2人に酒でも飲みながら自慢したい笑)英語については最近勉強を再開しました。

また、12月の中旬ではランボーがぶちまけるようなWeponを扱う経験をした。これは本当に脳汁でる、、シャバでは絶対に経験できないから少し誇れる。

少し時間がおしてきたため急ぎで書いていくが、こんな感じで悪い点に目を向けることは簡単だが、外では経験できないような輝きはたくさんあり、尊敬できる人はたくさんいる。たかが10ヵ月そこらしか働いていないような自分が全体を把握することも、この仕事を我が物顔で語るなんておこがましいような規模の仕事ではある。長く働けば誰でも出世して高給取りになれるし、自分のスキルを活かして更に上を目指して人から尊敬されるような立場になる道もある。(ホワイトとは限らないが...)将来性はあるし、自分の中で確固たる目指す道を見つけることができ、性格にさえ合っていれば天職にもなり得る仕事だと思う。

つまり何が言いたいかというと、、、

僕は2年頑張って任期金もらってシャバに出ます。

それと快活クラブいいね。


2 件のコメント:

HoriK さんのコメント...

あんまり細かいこと考えずに淡々とやってくタイプが向いてそう.実作業量が多い仕事はたいていそうだけど,自衛隊とかは特に顕著でしょうね

りりん(輪理無) さんのコメント...

いいよな快活。旅先ではホテル取らずに快活頼りですわ。

厳しい道ではあるがある程度得たものもあったようでよかった。

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。