鍵の送付とミニマリズム

 おおよそ日報のようなもの。昨日はアパートに鍵を送付したり、nginxについて色々と調べたり、ミニマリズムについて色々と思い出したりした。

 アパートの漏水問題への対応工事の日程について配管工から電話を受けた。ちょうど帰省しているタイミングで帰れない(帰る気がない)ので不動産立会いの上で、不在の間に工事できないかという話をした。近年は管理会社は鍵を持たないことになっているらしい。ということで鍵を送付した。郵送で鍵を送るというのは若干心理的抵抗があるが、致し方なし。

 nginxはwebサーバソフトの一種である。apacheやiisあたりと並んで有名なソフトウェアで、軽快な動作がその特徴である。raspberry pi上で動かすことを考えると色々とnginxが都合が良いので導入を試みている。導入すると設定ファイルとかもろもろ作成されるのだけど、よくわからない。どこに何を書けば設定が変わるのか模索している。nginx関連のAPIも結構あるようで、これも色々と調べておきたいところ。なにはともあれドキュメントを読むことが寛容だ。

 何のきっかけだったのか忘れたのだが、唐突にミニマリズムへの憧れを思い出した。Sasaki Fumioの僕たちにもうモノは必要ないを相当昔に読んで、その影響で当時はミニマリズムを生活に取り入れていた。その時はコンピュータへのリソースへ集中させることが自分の人生では重要なことだと気づいて、それがわかったのでミニマリズムを続ける意味が薄くなったのでやめてしまった。ただ、この頃になって、いや、そうではなくて、大切なことの再発見のためのミニマリズムではなくて、自由さを維持するためのミニマリズムのほうに実は関心があったのではないかというとに気づいた。つまりは、彼らの主張するところの経験主義的な側面を持つことでミニマリズムはより価値を持つのだろうと思うわけである。ミニマリズムを実践することで、家の魅力度を下げることで外へ関心が向かいやすくなる。以前言っていた外部の依存先のコミュニティを増やすということに意識が向かいやすくなると思う。そして単純に生活コストをもっともっと下げられるし、モノがモノを呼ぶ(このフレーズを久しぶりにつかった)ことも避けられて想定外の出費も減る。今の部屋の生活環境を振り返ってみると、やたらとコンピュータがあったり、やたらと本があったり、やたらと椅子を持っていたり、、まるでそこは文章なりプログラムなりを作る工場で、僕はその中で動き回るパーツのようである。そしてこれだけ精神的に疲弊しているのである。

 まぁそういったわけで僕はミニマリズムを再評価しようと思う。

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