ついに、大学を卒業した。(2025/3/20 卒業式)
いまいち信じられない。5年も居たのだから。
さっくりと5年間をふりかえってみよう。
初年度はコロナ渦真っ只中で変化に適応できず、寮の中でも馴染めずメンタルが終了してしまい単位を滅茶苦茶落とした。特に高校をとても良い気持ちで卒業しただけにキツかったなぁ。進級こそギリできたがこれが後の年にも大きく響いた。趣味の面では12月に初のレゴイベ参加を果たし、ここから趣味が充実していくこととなる。ほぼ無名の新人がクソでかい作品「メタルオーバーロード」をもってきたので周りはざわついてた気がする。この年が普通の年だったらもっと俺の大学生活は上手くいっていたと言うこともあるが、実際のところもし充実していたら、生活に不満があってレゴイベに飛び込んでいくことで不満を解消しようとする負の熱量がなかったら参加していたか分からないのでまぁこんなことになってしまった意味はあったのかもしれないと思う。
2年次は大学がまともに始まって、少しは仲良くする人間ができるが遠距離通学してる奴かバイト入れまくりの奴ばかりで気軽に遊ぶことができず、浅い付き合いのままだった。この孤独が趣味を加速させたかもしれない。軽音サークルに入るも高校の頃入ってた軽音と空気が違い合わず、飛んでイラスト部へ。ここには入って数ヶ月顔を出さなかったりしたものの、当時の私の髪型が真っ白のロングというインパクト抜群であったため部に存在はまだ残っていたので戻ってくることが出来た。そもそも絵の上手さを重要視するサークルでは無いのだが、ドット絵を描く人が私以外いなかったので比較されることもなくなんとなくすげーという感想しか持たれないのでとても気が楽だった。趣味ではレゴを充実させ2体目の巨大作品「ザク50」制作すると共に、大量にガンプラを購入したため生活スペースが無くなった。
3年次に最悪の事態に陥る。留年である。マトモに大学のことに手を付けられるようになっても、元から理系科目が苦手であった私はちゃんとやってもそれなりに単位を落とし、1年次の精神衰弱もあってついに進級に必要な単位数に届かないことが前期終了時に確定した。これが原因で元々浅かった付き合いがますます疎遠になった。後期終了時に留年が確定した一人を除いて。親との関係が悪くなるかと思ったが、1年次の俺の衰弱具合を知っているからか親もある程度仕方が無いと思ったのか、私への当たりをキツくすることはなかった。趣味は相変わらず充実し、新たにレゴでディーゼル車両を制作するようになる。サークルにも少しは顔を出していた。前期終了して留年が確定したことをきっかけの一つとして、現在まで続くゲーム制作の話が持ち上がり始めた。
2度目の3年生。再履修の授業を受けてる際に知人と顔を合わせることがあるものの、やはり研究室にいるのとそうで無いのとでは生活様式が違いすぎて疎遠に。進級を確実なものにするために前期は選択授業を大量に履修した。理数系以外とはやはり相性がいいのか、いくつか落とす想定で履修したのにここで初めてフル単を取得する。単位数だけで見れば進級どころか卒業単位数をオーバーした。後期は必修のみ。少し大学に行ってすぐ帰る生活だった。サークルには顔が出しやすかった。趣味としては現在も取り組んでいる狂気の作品群「ブリックヘッズカラーチャート」の制作を開始。金が今まで以上に溶ける。留年して奨学金止まってるのに。ガンプラはずっとサボり続けた。
4年に上がることに成功する。しかし、クソ生活が始まった。これまで大学生活ってのは1~5限の中のいくつかに出席するのであって、フルタイムで大学にいるなんてあっても週1だったのに、研究室は毎日フルタイムだった。特に前年の後期はあまり授業が無くて昼間まで寝てる日が多かったので余計辛かった。しかも研究開始当初はジジイ教授がうちの班ばっかり付きっきりで指導していたので息つく暇が無く、うちの班が一番帰りが遅く、後に途中離脱して一人班になる奴がジジイ教授と相性が悪く常に怒鳴られていたので自分が直接怒鳴られてる訳じゃ無くてもいつこっちに飛び火してくるか分からないし最悪だった。就活が息抜きに感じることさえあった。1人抜けて1人別の奴が入ってきて最終的なチームメンバーが確定した。1留、1留、3留の全員経歴に傷を持つ奴で構成された班が完成した。班のメンバーに関しては過去の記事「研究室」、「恐ろしいものを見た」参照。3歩進んで2歩下がりながらも実験を進め、研究が終わったのは12月下旬のこと。この時点でもう1年間で出勤しなきゃいけない時間を余裕でクリアしてしまった。悲しい。そこから卒論を幾度となく修正を繰り返し班の2人の意見が対立するのを上手く中和しながら完成させていった。実際の仕事量は少なかったがバランサーってのも結構大変なんだぜ。サークルにはほぼ参加出来なかった。研究室が終わる頃には皆帰っているから。趣味のほうは研究室地獄でヒィヒィ言いながらも充実していた。カラーチャートの材料を少しずつ買い集めリソースが足りなくなりつつも少しは他の作品にも着手できた。10~11月は凄かった。この期間に4つものイベントをこなしたのである。ガンプラを1年以上サボっていたがついに再開した。ゲーム制作はシナリオと向き合って何度も頭を抱え、その最中であるが、描き始めて10年以上思いつかなかった主人公の名前が決定したりと少しずつ牛歩で前に進んでいる。
さっくり書いてもこの文量。良くも悪くも思い出がそれなりにあるな。なんだかんだ試練が多かった大学生活を乗り越えたから、これからの社会人生活もなんとか生き残れることに期待して、とにかく壊れないようにこれからを生きていこうと思う。