技術・知識量 ≠ 自己価値

 最近よく思うことで、、自分の専攻や趣味が自分の価値に直結していると考えるのは危険だと感じている。これはいろいろな意味で危険だ。
 第一はシンプルに厄介者になる可能性があるということだ。自分の専攻分野自体が自分の価値であると考えていると、そのアピールのために求められていないところで自分の知識や技術をアピールするようになる。本人に自覚がなくても周囲には厄介がられる。
 第二に、専攻分野で自分を上回る他者を発見した際に心理的安全性を大きく損なう点である。専攻分野における実力が自分の価値であると考えていると、自分を上回る実力を持った人は自分よりも高い価値を持っているという発想になるので、いちいち心の平穏を乱される。また、他人の実力を素直に認められなくなる。
 第三に、楽しめなくなるということ。現代社会は、各人に自身の人材価値がどのくらいかという物差しをかなり強烈に強いていると思う。そんな中で専攻分野が自身の人材価値となっているならば、勉強が義務的になってしまう。当然楽しくはなくなる。
 本来人間の価値はいろいろな面に分散しているもので、特定の事物に依存するものではないと再認識することが大切だ。専攻であれ趣味であれ、これは自分の知的探求の一環に過ぎないというある意味淡白な姿勢を持つことが、長いマラソンをやっていく上では大切だと思う。面白いから、興味深いからやっているのであって、それ以上でもそれ以下でもないってことですね。主に自分への戒め。

2 件のコメント:

りりん(輪理無) さんのコメント...

第2のとこめっちゃ分かる。

HoriK さんのコメント...

常にある。1についてはその人の回りにいる人間の人間性の影響も多分にあると思う。

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