一時はカレーを食べたくない

 脱糞。

幼い頃は自制が効かず、一度は経験したことがあるだろう。しかし、人は成長する過程で肛門の手綱を握ることを覚え、同じ過ちを犯すことはなくなる。

2023年3月6日。大学の友達宅で飲み会を開いた。バイト先の先輩や同期の計5人での飲みだ。今までお世話になった先輩や気を許した同期との飲み会は、普段の何気ない日々とは違った刺激や安らぎのあり、心地よい空間が広がっていた。当然酒は進み、たばこがいつもより旨い。


酒やたばこはなぜ旨いのだろうか。これまでに多くの人類が酒やたばこに翻弄され、失敗してきた歴史は多い。特に酒は自制心を崩壊させ、精神的に幸福にさせる。その効果は普段の人間性を崩壊させ、内に秘めた人間のユーモアさだけでなく、醜悪さ、弱さを引き出す。そして、タバコというものはよくわからないが、幸せになる。それらを掛け合わせることで、精神的に幸せでかつ、脆く、ニコチンによって交感神経がばがばの最弱人間が完成する。

飲み会は2時にお開きになり、皆それぞれ帰路に着く。私も千鳥足で会場を後にする。深夜の帰り道に音楽は必須であり、好きなクラシックを流しながら歩く。ドビュッシーの「月の光」は幻想的な中に寂しさや音の奏でる美しさがある名曲だ。月を眺めながら今回の飲み会の内容、それぞれの抱えるものを思いながら歩く。酒、たばこで出来上がったこの精神、身体を更に加速させるような名曲に包まれ、街灯の光をたどる。

ぎゅるるるるるるぅっぅぅ。???

仮初の幸せに突如として幕引きが訪れる。へその内側に不快感を感じ、たちどころに尻、肛門へと伝播していく。私は本能的に尻の穴を鎖国し、出国を禁じた。

これはやばい。人には我慢できるものとできないものがある。私は即座にこの現象を後者だと判断した。しかし、家まではまだ300mほどある。

脱糞。私は家以外の環境では糞を出すことができず、小学生の頃に一度失敗した経験がある。それ以来、このままではいけないという危機感から学校でも用を足すことができるようになった。それから失敗をすることはなく、大学生になることができた。

これまでの人生からして、自宅まで我慢できるだろう。しかし、歩きはやばい。小走りで帰ろう。これが私の出せる最善策だった。

曲は変わってシューマンの「トロイメライ」。小学生の頃の失敗を思い出しながらも、昔とは違う自分を信じて私は尻の穴を締めて走った。あの頃の登下校の一本道。友達との会話を断ち切ってでも走ったあの道。どうも情景は今と同じで、違うのは尻の穴を締めて走る男の年齢だけ。苦笑いをする余裕もなく、本当に危機を感じたときはゆっくり歩いて振動を軽減する。余裕のある時はなるべく多く進む。

人はゴールが近づくと気が緩む。手に入れるまではわくわくしていたが手に入ると熱が冷める。徒競走でゴール直前で失速する。エレベーターに乗ったとき、私の尻の穴は努力を放棄しようとしていた。

「がんばれ!!あと少しだ!!」

震える手で部屋の鍵を握り、鍵穴に刺す。便座に腰を下ろすまでが遠足だ。私の脳はそう理解していた。しかし、僕のシナプスが伝達する速度と、尻に搭載された第二の脳の判断の速度は違っていた。

「ぶりゅりゅ」

「革命」。ソ連の社会主義による恐怖政治体制に対して命をかけて反逆の意を示したショタスコーヴィチの魂の曲。

脳で物事を判断してそれを行動に移すと考えていた。自分の体は自分で手綱を握っている。筋肉は裏切らない。最後に信じれるのは自分だけ。しかし、どうやらそうではないらしい。「革命」の灯は常にどこにでもあり、その火種は自分でつけることができる。

2 件のコメント:

HoriK さんのコメント...

ひどいポエムだったよ、、、

りりん(輪理無) さんのコメント...

読みながら顔を歪めた。まぁ、なんだ、解散後で良かったな。

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