春季課題図書(レトリックと詭弁)の感想、HoriK

 

 春季課題図書に設定されていた「レトリックと詭弁」を読んだので感想を書いてみる。

 今回の課題図書を提案したのは自分なので、選定背景を先に述べておきたい。この本を選んだ背景として、自分の意見を示して議論することが重要な場面において、自分の意見やブランドを不当な批判テクニックから守る方法を知りたかった、というのがある。

 最近は世間には議論で相手を言い負かすことが”カッコいい”、あるいは”論理的”とされている風潮があるように感じている。僕はこの風潮に非常に問題意識を持っている。そもそも議論というのはより良い結論を探すために複数人であれこれ考えることだ。ある意見と対立意見があってそれを戦わせるというのはどちらかというと討論であって、議論とは毛色が異なるものだと思う。議論と討論の認識が混在し、しかも相手を言い負かすこと、つまり相手より”論理的であると示すこと”が目的化したならば、おおよそ何かの問題について良さそうなアイデアを作り出すのは困難になるだろう。さらに、この風潮にはもっと悪い効果があると思う。これこそが冒頭で述べた、議論の参加者の意見やブランドが不当に毀損されることである。議論と思って参加しても、それが実質的に討論に成り代わっていたならば、その場における目的というのはすでに”相手を言い負かすこと”になっているのであって、その実態は意見の交わしあい等ではなく、相手をいかに都合よく誘導するかという、詭弁のぶつけ合いである。

 さて、自分がこういう状況に巻き込まれたらどうしようか、どのように自分を守るべきか。セキュリティの世界では、防御策を講じるためにはまず敵の攻撃手法を分析することが重要とされる。詭弁から身を守る方法についても攻撃者の手法を知ることで獲得できるのではないか。そういう背景でこの本を選定した。

 この本では特に議論の場においての質問の効果が強調されている。議論の場で、質問は相手を混乱させたり誘導する目的で利用されることがあり、これを著者は修飾疑問と読んでいる。質問はその性質上、相手に回答を強制することができ、問題設定そのものも恣意的なものにできる。例えばAかBかみたいな二択を質問で迫った場合、どちらを選んでも質問側にとって有利なものにしたり、選択肢の中に自分の意見を忍ばせたりできる。修飾疑問の効果を知らずに正直に回答すると回答側は必然的に自分の立場が悪くなってしまう。このため、修飾疑問には正面から回答してはならず、質問設定そのものを指摘するようにしたほうが良い。(Answerするのではなく、Retortする)相手の意図を見抜いて適切なRetortを行う。場合によってはそもそも回答に応じる必要もなく、相手がその質問を行うことの正当性そのものを疑ってやれば良かったりする。

 この本を読むことで、詭弁のテクニックの中でもとりわけ効果の強い修飾疑問の利用を検知できるようになった。個人的には大きな一歩である。一旦立ち止まって疑うということを覚えることができたのだ。より高いレベルとして、出現したレトリックを即座に解析して、適切なRetortをする、というものがあることもわかった。まだそのレベルには達していないが、今後必要に応じてこの能力も強化していきたいと思う。

 そして、当然だが、自分からはレトリックで他人を説得するということはないように心がけなければならない。他人の意見を不当に取り下げさせるレトリックや詭弁といった類は議論の場においては不要なものであり、倫理的にもマナー的にも問題のある行為だ。

 本の中では、倫理的判断によってだけではなく、レトリックを容易に見抜けるためにレトリックを使うことができなくなるという状態を目指すべき、と説明されている。たしかに理想的にはそれが到達点だとは思う。自分でも人を罠にはかけないし、自分も罠にはまらない状態。

 単に良い結論を探すために話し合いたいだけなのに、色々難しい世の中になったものだなぁと思ったりもするのだが、、、

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