時間がないという言い訳

 共著者の投稿のコメント欄に「時間がないから〜できない」みたいなこと書きながら、我ながらこれは品質の低い言い訳だなぁと感じてしまった。また、先週の実験に昼食も取らずにギリギリで到着した友人の「いやぁ、時間がなくて」という言い分に、酷い言い訳だなぁ、と思ったりした。

 時間はあるはずだ。時間があるはずなのに、なんで時間がないんだろう。

 これは、これまで多くの人に言及されてきたトピックであるが、数ある意見の中で最もそれっぽいのは、僕らが他人の人生を生きすぎているから、という意見だと感じる。振り返ってみて、一日の何割くらいの時間を自分の主体的選択に基づいた行動で過ごしているか考えてみる。僕だと6〜7割くらいが、あらかじめスケジュールされた、あるいは自分でスケジュールされた行動に費やされている。逆を言えば3〜4割は、スケジュールされてもいないが、なんの気なしに、惰性で、他人のコンテンツを消化するのに費やしている時間になっている。

 いやいや、なんて恐ろしい!

 とはいえ、主体的選択による時間を増やすのは簡単なことでない上に、惰性で生きるというのはある種の人間の本能のようなところがあるため、生活パターンをいきなり変えるのは用意ではないだろう。まずは、「時間がないので〜できない」という言い訳をやめるところから、始めるべきだと考えた。 

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