宅習帳を埋める大学生

 おおよそ日報のようなもの。答えのない問い、あるいは簡単には答えが出そうにない問いについて考えるのはなかなか重労働である。そして、重労働であることがわかっているので着手も遅れがちだ。

 この頃はこのブログでも何度も書いている卒業研究のための考え事がそれに対応している。これは僕の場合に限らないようで、卒業研究について調べてみると、いかに現実逃避を抑えて研究活動に身を引き戻すかについて説明する文章が散見される。

 今のところ、ノートのページ数を決めて、それが埋まるだけの考え事をすれば良しというスタイルが暫定的な最善手だと感じている。僕の場合はWord換算で3ページを日の目標にしている。最初の一行目に何について考えるかを表題として書いて、2行目以降であれこれ思索をしながら文章を書いてページを埋めていく。〜について考える、というのは難しそうだが、〜について〜ページ書く、だといかにも簡単そう。簡単そうに感じるというのはとても大切で、人は基本的には簡単なものを好むものなので、取り掛かりの心理的ハードルが下がる。

 そして、ノートを書いているとそれ以外にも色々と恩恵を受ける部分がある。書いているうちに考えていることの方向性とか前提とかに誤りがあることに気付いたり、対策を部分的に思いついたり、さらに考慮すべき部分に気づいたりする。やはり、思考はテキストベースで行われた方がきちんと地に足をつけて進める感じがして安心だ。頭だけで考えていると、少なくとも僕の場合は途中の過程が抜けて結論が飛躍したり、前提を途中ですり替えたり、ということがおこって変な結論を導きがちなのである。

 このように書いていて、日に〜ページ書くというのは小中高と続けてきた宅習帳(自学帳のこと、宮崎県の県北では良く聞く言葉だがこれはどうやら方言の一種らしい。)に非常に似ていることに気付いた。なんだ、僕は大学に来てまで宅習帳を埋める作業をしているということなのか。

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