日照量と生活環境の制御について

 以前にも書いたことだが、現在の自分のアパートの部屋は窓が隣家(隣家もアパート)の玄関に面している。このため、隣家の人々が出入りするときに部屋の中を覗きこめてしまうし、目があったりすることがある。これについて僕はこれまで遮光カーテンを2枚重ねて対策していたのだが、思い切ってこの対策をやめることにした。
 現在の構成はレースカーテン1枚と遮光カーテン1枚。昼間は遮光カーテンは開けておく。多分、もっとも普通なカーテンの使い方だと思う。当然、日中に隣家の人々が出入りするときは部屋の中が覗きこめてしまうというデメリットはあるが、それでもやはり自然採光が重要なのだ。
 太陽というのはやはり人間にとっては重要な存在で、日に浴びる日照量が不足するとセロトニンの量が不足していまう。セロトニンの量は抗不安を考える上では重要な要素で、不安症治療などではセロトニンの回収を阻害する薬(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などをつかってセロトニン量の上昇を図ることがある。僕の生活もやはりセロトニン量が非常に不足していると感じていて、ここを薬に頼ってもいいような気がするんだけど、ここはまずは手軽なアプローチとして部屋に光を取り込んで、ストレス耐性の強化を狙っていこう、というわけである。
 部屋に光が入ってくるようにして、日中の精神状態はかなり改善された。夜はやはり不安と焦燥感が強いのだが、昼間に色々とこなせたという要素によって夜の精神状態も微改善という具合。
 全体としての教訓としては、生活環境の改善に労力やコストをかけることにはそれなりの価値があると感じる。生活環境の微妙な使いづらさみたいなものは積もり積もってより大きな問題に発展する(散らかる、物をなくす、そのほか何かをするための妨げになる、メンタルに悪影響を及ぼす)可能性があると考えると、これは全然軽視できない問題なのである。それから、そもそもより良い解決策を模索する姿勢みたいなものは、忘れかけていたけども重要なものだったのだと再確認した。その気になれば自分がコントロール可能な要素というのは多くて、コントロールしようというする意欲が高まれば、案外生活環境というのは短期間で驚くほど解決される物なのかもしれない。
 
P.S.
 昨日は両親が僕の家を訪ねてきた。ゴールデンウィークなり、春休みなり、思い返せば帰れるタイミングはあっただろうから帰ればよかったと思った。実家帰りが憚れる理由としては、道具が多くて移動が大変だということと、移動すると作業環境がガラッと変わってしまってワークフローが途切れてしまうから、というのがある。大きめのスーツケースとかを買ってワークステーションを丸ごと移動できるようにすれば帰宅や長期旅行も少しは気軽になるかもしれない。早めに手に入れよう。 

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